私の履歴

幼年期/少年期

1937年1月生まれ。2年後にインドのカルカッタ市に移住。3歳下の妹はカルカッタ生まれ。WWIIが始まり交換船で神戸に帰国。神戸の小学校を卒業し、上智大学と同じイエズス会系列の六甲学院に入学した。


大学を卒業し、日本IBM社

県立神戸商科大学を卒業し、当時従業員が800名だった日本IBM社に営業部員として入社する。同社は2年後に日本でコンピューターを発売し、「これが私の仕事だ」と確信し、1962年にアメリカの大学に留学することを決心する。

IBMを辞め、アメリカへ

1963年に日本IBM社を辞め、友人の父親の配慮で、名古屋港からオレゴン州の材木集約港に2万円で渡航した。当時アメリカ人と結婚してオレゴンに住んでいた従姉妹の家に10日ほど滞在し、そこからボストンまでグレーハウンド・バスで1週間かかって移動した。広大なアメリカに驚愕した。

MBA取得後に、米国IBM社

Boston College校でMBAを取得した後、UCLA校の博士課程で1年間学び、アメリカの移民法が「アメリカに必要な技術者に優先的に永住権を与える」に変わり「コンピューター技術者」と偽って永住権を取得して、IBM社が当時開発/販売していた大型コンピューターのソフトウエア開発技術者として5年間働く。

IBM社からAmdahl社へ

1971年にIBM社を退社し、同社の大型コンピューターの技術者だったAmdahl博士が創業したAmdahl社にソフトウエアエンジニアーとして入社したが、同社と富士通との関係が緊密になると共に、富士通との提携関係に専業することになった。5年後にディスク装置を開発製造していたMemorex社に転職した。

日米企業間の事業提携コンサルタントへ

Memorex社で5年間日本の週社との提携関係を担当して、この仕事が「私の天職」だと確信し、Memorex社を辞め、独立して主としてシリコンバレのーの技術、スタートアップ企業を日本の企業に紹介し、投資、技術移管、販売関係等々を促進する仕事に従事した。ネットスケープ社の日本での立ち上げに参画したのが、私の最大の貢献だった。